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国民みんなの力で… [ちょこっと気になったこと、もの、人]

“オウム事件”での特別手配犯だか何だかの
高橋克也とかいう人を追いかけて連日報道が繰り返され、
ついに「逮捕」されると
「国民みんなの力で逮捕することができた。やったね!!」
みたいなところで話が収まった。

なんか司法当局と国民一人一人が一体になる図式って怖いなと思う。
オウム云々、高橋云々は別にして。

この手の勧善懲悪的ストーリーを流すマスコミはさぞかし楽だ仕事だっただろうなぁ。

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長寿日本一 [ちょこっと気になったこと、もの、人]

〈長寿日本一の木村次郎右衛門さんが4月19日に115歳を迎えた。
木村さんは38年郵便局を勤め上げ、子供7人、孫14人にめぐまれた。〉
という話題をvtrでの紹介で少しやっていた
一昨昨日の『情報7days ニュースキャスター』を聞いて、
「世の中には幸せな人生を送れた人もいるんだなぁ」
と何となく思えたのだった。

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でもしか公務員 [ちょこっと気になったこと、もの、人]

世間で官僚批判、公務員批判が語られだしてから久しいですが、ぼくなどは元から公務員には期待してないところがあるのですけれどね。

ぼくはヘナチョコ独学ながら公務員試験の勉強をしてたことがあって(※1)、その関係で同じゼミに所属していた社会人入学で公務員試験に合格したことがあるという方と少しお話をする機会があったんですが、そのときに「公務員試験に受かるなんてすごいですね」と言ったら、「逆に言うと公務員しかできないっていうのもあるんだけどね」という答えが返ってきて、あっ!そうか、って発想の転換を感じたことがあったのです。
つまり、もともと“サービス精神”やら“柔軟な発想”、“臨機応変さ”などを持ち合わせているひとなんかは公務員なんかにはならないで最初から民間を目指すものなんじゃないか、ってことに気がついたというわけです。

自分の経験からも公務員には期待できないなと思うこともありました。
当時、福祉に理解のない区に住んでいた頃、用事で福祉課の窓口を訪れて感じていた、「お前は一字一句間違えずに入力してやらないと動かない昔のコンピューターか?」とか突っ込みたくなるような職員の対応とかですね。ほかの課の窓口の人のほうが福祉課よりよっぽど親切だなぁと思わされることもあったくらいでした。

ぼくが思うにですね、公務員に求められるものがあるとすれば、それは“真面目さ”“誠実さ”くらいなのではないでしょうか。最近の問題はその“真面目さ”“誠実さ”すら持てない公務員が結構いるってところなんじゃないでしょうか。

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9月14日投開票の民主党代表選(次期総理大臣選)の終盤戦を見て [ちょこっと気になったこと、もの、人]

小沢一郎さんは国民に顔を向けて必死に動こうとしているような気がした。
今、国民が求めているのは果断でシンプルな、分かりやすい、見えやすい、自分達の生活を守ってくれる政治とかではないだろうかと思う。
そういうニーズに小沢さんは答えようとしているように見える。

それに対して菅直人さんが顔を向けているのは、民主党議員のような気がする。
民主党議員一人ひとりの声に耳を傾け、自分は調整役のリーダーになろうと心掛けているようである。
おかげで菅さん自身の主義主張といったものが際立って見えてこない感じである。

この場合、民主党議員に受けがいいのは当然菅さんのほうであろう。
民主党議員にしてみれば、もし小沢さんが自分達のリーダーになられたら自分の意見、主義主張といったものが蔑ろにされてしまうのではないかという危惧を抱いてしまうのではないだろうか。

一方、国民のニーズに答えようと必死になっている小沢さんであるが、国民に顔を向けているからといって決して国民受けは良くないようである。
それは大手マスコミによる一般世論調査の結果を見れば明らかである。
その原因は、戦後焼け跡、闇市時代の記憶を遥か彼方に忘却してしまったせいか、文明社会の温室生活に慣らされきったせいか、神事や仏教などで清めを尊び穢れを遠ざけようとするような元々潔癖症気質の国民のためか、“クリーンな政治”への憧れがそういう結果を導き出してでもいるのだろうか。

民主党議員や大手マスコミや国民が小沢さんを拒否したとしても、菅さんのような調整型リーダーでは、現在進行中の政治の動きが見えにくく、また、リーダー自らの個人として描いている政治、社会についてのグランドデザインや将来びじょんといったものも見えにくく、総理続投後も国民の不平不満が燻り続けるのではないだろうか。

仮に小沢さんが総理になってこの社会が良くならなかったとしても、何か果断な動きを見せてくれる政治を試してみることで、どんどん不平不満のガスがたまり続けている現状を少しでも解消してもらわないといけないような気がぼくとしてはするのであるが。

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森山直太朗の『生きてることが辛いなら』 [ちょこっと気になったこと、もの、人]

以前、
● 森山直太朗の『生きてることが辛いなら』: とりとめないブログ
http://party.tea-nifty.com/fumetsuno/2008/08/post-0bd9-1.html
というエントリーを書いたことあったんだけど、その続きみたいな感じで書いてみよう。

 この歌は「現代社会を生きにくくして暮らしている人達」に向けての“現代の子守唄”なのかなぁと思ったりするのである。
 昔の流行歌には『○○の子守唄』とか『○○のララバイ』なんて題名の歌が結構見受けられたものである。最近はそういった題名の歌を聞かないように思うのだが、“癒やし”とかいう言葉が流行ったり、精神のバランスを無くしてしまっている人も多いにも関わらず、「子守唄」で心を落ち着けるという営みを人々は望まないのだろうか。

 『生きてることが辛いなら』の歌詞を見てみよう。
 「生きてることが辛いなら わめき散らして泣けばいい その内夜は明けちゃって 疲れて眠りに就くだろう」、このあたりが“子守唄”ではないかと思わせる。

 「何にもないとこから 何にもないとこへと 何にもなかったかのように 巡る生命(いのち)だから」、この部分がぼく的にはこの歌の肝のような気がするのだ。一つの“死生観”を表しているのではないだろうか。そう、結局のところ、生きとし生けるもの「気が付きゃみんな年取って 同じとこに行くのだから 」なのである。

 「生きてることが辛いなら」、自分の生を心静かにじっと見つめる作業というのも必要なんじゃないか、とも言っているような気がする。「悲しみをとくとみ」て、そういったものをも心の友の一つとして持ち続けて行く姿勢も大事なんじゃないかといったように。

 「生きてることが辛いなら いやになるまで生きるがいい」では、“一所懸命やってみろ”という激励の気持ちを感じるのである。“無心になってやってみろ”といったように。
 “無心”というのはちょうど子供が日が暮れるまで遊びに夢中になる様にも似ていること。「歴史は小さなブランコで 宇宙は小さな水飲み場」なのである。
 “一所懸命、無心になってやってみろ”なのであるが、“生”は“遊び”の要素も含むのだから、心の余裕も大切にしながら“生きる”ことが大切、といったメッセージが込められているような気がする。

 そして、農作業など真面目な労働の後に「寝るより楽はなかりけり」と言いながら健やかな寝床に着くような意味合いで、「生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ」なのである。

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駄洒落川柳 (芸能界編) [ちょこっと気になったこと、もの、人]

消されたと 真(誠)しやかに 噂され

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政治家の世襲についてちょっと思ったりすること [ちょこっと気になったこと、もの、人]

 「世襲議員はよくない」という今の日本の流れ、みたいだね。
 べつにぼくも「世襲」を肯定するものでもないのだけれども、そのことと「日本に良い政治家がいない」「良いリーダーが出てこない」ということとの間にどのくらいの関係性があるのかということは、未知数なんじゃないかという疑問をちょこっと抱いてしまうんだね。
 よその国で法律で世襲立候補をを禁止しているのかどうか知らないんだけど、わざわざ法律で規制しなければいけないものなんだろうか。
 根本的なところをいえば、世論調査的なもので「大したことない」「ろくでもない」みたいな言われ方をされてしまうような政治家に票を入れて当選させてしまう(その選挙区の、とか)国民がよくないんじゃないのかい?

 今はスポーツ選手でも何でも「英才教育」の時代じゃないですかぁ。日本で政治をやる人達には「英才教育」ができてないんじゃないんですかねぇ? 「真のリーダーになる」ってことの意味内容をしっかり体得しないまま議員という職についてしまってるんじゃないのかな?

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とりあえず「定額給付金」のこと [ちょこっと気になったこと、もの、人]

第2次補正予算案が可決され、定額給付金の支給が始まりましたね。
支給一番乗りを目指して準備を進めてきた青森県のどこかの村が狙い通りにマスコミの注目を集めていました。
マスコミもまんまと狙いにはまりに行ってましたね。
ここでも「悪い意味での田舎者的センス」が(公務員によって)炸裂、って感じ覚えたんですけど。…。
そんなことでしか自分の村を売り込めないことに恥ずかしさとか情けなさとか感じないんですかねー。ま、大きなお世話ですか?すいません。
定額給付金、可決されるまでは「政治の話」だったのが、成立した途端「お祭り(給付金祭り)」になっちゃった感じするんですけど、どうでしょうか。
支給に合わせた商品やサービスの提供も続々出てきていたり、チャリティー的なものへの寄付のお願いがあったりと。べつにお祭りに乗っかるのも悪いことでもないと思いますしね、いいんじゃないかな。(誰か一人をみんなでぶっ叩くような村八分的な「まつり」は害があってよくないと思うけど、この手の「祭り」にはさして害毒もなさそうだし)
ただ、この日本人の「変わり身の速さ」ってやつにはついていけない感じも無きにしも非ずではあります。
成立前も後も定額給付金にはシビアな態度を変えない人達もいるようではありますね。

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川田亜子さん関連 [ちょこっと気になったこと、もの、人]

【気にしていた川田亜子さん関係の情報がわりとメジャーなサイトに掲載されたみたいなんでそこから引用】

〈 "芸能界のドン"バーニングプロダクションと、同社の周防郁雄社長が「紙の爆弾」(07年3月号/鹿砦社)に掲載された「バーニングに結婚"させられた"藤原紀香と吉本興業の怒りは爆発寸前」という記事に対して、損害賠償請求をしてきた恫喝訴訟の判決が2月4日に出た(記事参照)。被告は、筆者と出版元の鹿砦社。判決は、被告は原告に110万円づつ、計220万円を支払えというもの。完全な敗北。
 それもそのはずだ。裁判長は、それ以前の和解斡旋の場で、ニヤニヤしながら「芸能界っていうのは、わからないところですね」と平然として言ってのけたのだ。芸能界のことがわからない裁判官が、芸能界の裏側を報じた記事を裁いたわけだ。そんな判決を認めるわけにはいかない。
 筆者がこれまで、ことあるごとに訴えてきたことは、周防がマスメディアを、時には過剰な接待攻勢で篭絡しながら、その一方では、闇社会との黒い交際を背景に暴力性をチラつかせ、それでも従わなければ法的手段に訴えるという手段でドンの座に君臨してきたという点。その体質は、20年以上も変わらないことに警鐘を鳴らしてきたのだ。社会に多大な影響力をもつマスメディアは、公正中立が大原則。たかが芸能といえども、特定の勢力に加担するようなことはあってはならないのに、マスメディアはそんなドンの影響下に置かれてきた。
 さらに、ここ数年、周防の高校の同級生である芸能プロ・ケイダッシュの川村龍夫会長が、周防と同様に"芸能界のドン"を気取っている。毎年1月に開かれ、いまや芸能界の恒例行事となった川村の誕生日祝いを兼ねた事務所の新年会には、今年もあふれんばかりどころか、あふれることがわかっていながら、業界関係者が大挙してお祝いに駆けつけたという。筆者には、そこまで人を集める川村の魅力や実績が理解できないが、この会合自体、川村を大きく見せるための演出以外のナニモノでもないと思っている。
 そもそも、お客が1000人以上集まることをわかっていながら、半分のキャパシティしかない会場で開催。入場者は会場の前に列をつくり、ごった返す場内では、事務所スタッフが川村の居場所を知らせるためのプラカードを持って歩いていたという。あまりにも滑稽だ。
 川村が率いるケイダッシュでは、昨年、所属していたフリーアナの川田亜子さんが自殺。しかも、川村の腹心と言われた谷口元一という役員が川田さんと関係があったといわれているにもかかわらず、会社の最高責任者であるはずの川村自身は説明をしないし、社会的責任も明らかにしない。チャンチャラおかしいではないか。なぜ、マスメディアはそれを追及しないのか。
 周防が"ドン"として君臨、川村が"ドン"を気取る以上、筆者はこれからも2人の行動をマークし、批判すべきところは徹底的に批判していくつもりだ。
 もちろん今回も、判決を不服として控訴するつもりだ。ただ、不安なのは、芸能界の実態を知らない司法の場で戦うことだ。そのためにも、勇気ある皆さんの協力がほしい。筆者だけでなく、芸能界の実態を公の場で語っていってほしい。それが、特定の勢力に左右されることなく、若い人材や小さい芸能プロでも実力次第で成功をつかめる、正常な産業としての芸能界の発展につながると確信している。
(本多圭)〉
● "芸能界のドン"に完敗しても私が彼らの追及をやめない理由 : 日刊サイゾー
http://www.cyzo.com/2009/02/post_1530.html

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福田総理辞任関連で思ったこと [ちょこっと気になったこと、もの、人]

 それにしても、福田バッシングはすごかったなぁという印象。
 テレビでの言葉聞いてたら「投げ出し、投げ出し、投げ出し、投げ出し…」の連発、そして「『無責任! 許せない!』と街の声は言ってます」的なVTR。支持率長期低迷の福田総理に国民はいまさら、いったい何を期待していたというのだろうか?
 そんなに長いこと生きてないから分からないが、日本人って昔からこんなに性格悪かったっけ?、と思うような反応だった。
 「安倍、福田と2代続けての総理職投げ出しというのは自民党という政党の構造問題なのではないか」という学者、解説員的な人の意見もあったようだった。また、「安倍さんは病気だったからしょうがないけど…」と安倍さんのことは簡単に流してしまって、福田さんの酷さを強調する人達もいたが、「病気になってしまうようなメンタル管理しかできなかったというのはよくないのじゃないか」とか「そもそもそんなに悪くなってしまうような病気を抱えている人が国ノトップの職に着いてはいけないというのが政治における常識というものだったのではないか」という話にはならないのだろうかとかぼく的には思ったりしたということもあったりした。

 福田さんは権力への野心を持って党内を動き回った人ではないようだが(ほかのどの政党でもなく)自民党という党が好きだったのだろうなと思った。自民党のどの部分が好きだったのかは知らないが、例えばその政党としての政治理念などだろうか。
 自民党を守るために自嘲気味に(あるいは客観的に自分を見て)「貧乏くじかもしれないが…」と語り総理職を引き受け、これ以上自分が総理の職に固執しても自民党の支持率はジリ貧になるだろうからと見切って、総裁選の盛り上がりにともなう支持率アップに期待を賭けて早めに身を引いたというのもあったのではないだろうか。
 総裁選で麻生氏と戦ったとき、「総理大臣にとって一番大切なことは何だと思われますか?」という記者からの質問に対して、麻生氏は「孤独に耐える力」と答え、福田氏は、「辞める時期を決断することだ」と答えたというようなそんな一幕があったような気がするのだ(この答えは辞める時期を間違えて党内に大きな混乱をもたらした安倍氏への苦言的意味もあったのではないかとぼくはそのとき思ったりした)。

 福田さんはずっと自民党が好きだったのかもしれないけれども、ここのところ日本国民は(お役人さん立ちと)自民党が大嫌いになってしまったようである。戦後半世紀に渡ってあれだけ好きだった自民党なのに。
 福田さんは自民党を守ることで日本の政治が欲なると思っているのかもしれないが、有権者はたぶん自民党のことなんてどうでもいいと思っていそうである。テレビに出てくるコメンテイターや司会者立ちも、自民党総裁選の話題に多くの時間を割きながら、「人気取りの総裁選に乗せられるな」と語っていた印象だった。
 でも、福田さんの「早めの辞任による支持率アップ作戦」は、そのまま本人が総理大臣を続けて行った場合よりは成功したのではないだろうか。

 福田さんが自民党総裁になったときぼくはこんなエントリーを書いた。↓
http://immortality.blog.so-net.ne.jp/2007-09-27

 その後ねじれ国会の中、なかなか野党の協力が得られず政権運営に四苦八苦していた福田さんについてぼくはこんなエントリーも書いた。↓
〈(2008.04.02 Wednesday)「福田さん」(政治)
 福田総理って「根回し上手」なのかなって思ってたけど、案外そうでもなさそうだね。
 民主党も自民党も、それぞれの議員がわりとばらばらな考えで動いているから、「誰か一人の実力者に話をつけておけばその人が民主党なり自民党なりを一つに取りまとめてくれる」ってわけには行かないみたいだもんね、これまでの国会運営見てると。
 政策を実現させるために複数の人、各方面に話をつけられるような政治家って誰かいないの?
 小泉さんとか安倍さんみたいに、はったりをかます人はぼくは好きではないので。〉
(民主党の小沢代表が1度は乗りかけた連立の話を民主党執行部の反対で曲げてしまったようだったのでこんなことを書いてみたのだったが)


 今は乱世デモアリ、人々ハ凄く不安デトテモ“言葉”を欲しがっているように思える。その言葉に縋り付くにせよ、「その言葉は気に入らねぇ」とぶっ叩くにせよ、とにかく何でもいいから何かを語って欲しいと思っているのではないだろうか。その意味では福田さんはあまりにも“語らなすぎた”ので不人気であったのかもしれないと思ったりした(その点麻生さんはお喋りな感じがするので国民にうまくフィットするのかもしれない)。

 それにしても、もともと賞味期限切れだった自民党をロックスター的小泉さんのカリスマに乗せられて生き延びさせた国民は、今「小泉改革のせいで生活が苦しくなっている」と言う人も多くいるようだが、だったら今度の選挙こそ民主党を勝たせなきゃ信用ならない国民となってしまうような気がするのだが。


※ 参考URL

●  MADE IN JAPAN! in America 福田康夫の絶望、そして諦観
http://soitgoes.blog110.fc2.com/blog-entry-395.html

● キーワードは「大連立」~安倍、福田退陣の一考察~-JanJanニュース
http://www.news.janjan.jp/column/0809/0809090766/1.php

※ 上の参考URLの記事を読んで、そういえば「2世、3世(世襲)議員は頼りない、彼らが日本の政治をダメにしている」という言葉を、至極当たり前のことのように皆が口にする今日ではあるが、それならば「世襲でない国会議員が大活躍をしている」という話を聞くことがあるかといえば特にそんなこともないわけで、そういった意味では“政治力の無さ”というのは日本国民全体の問題なのかもしれないと思ったりするのだがどうだろうか。


※ ウェブでの一般の人の書き込みを読んだり、テレビやラジオに出てくる人達のコメントを聞いていると、こんなに自分の国の政治化や総理大臣を小馬鹿にする国民というのも珍しいのではないかと思ったりするのだがどんなものだろうか?(お笑いの人達がジョークにしたりアーティスト系の人達が価値を低めて表現するのは職業上あるいは人生をかけた表現者として理解できるが) どんな敬意にせよ、一応民主主義のプロセスによって選ばれた政治家や総理大臣なのだから、自分達にも責任があるのじゃないだろうか。
 今の政治家を見下したところで何も始まらないのではないか。どの道、現実問題として国を回して行くためには誰かが政治家をしなきゃならないのだから、
 「どの政治家もどの政党もダメだよ」と言い放つのなら、自分が政治家になるか自分達の仲間を政治家として送り出すしかないんじゃないのかな?


※ 「安倍さんはいい人だ」とか「安倍さんは官僚と闘った」とか支持する人も結構いるんじゃないかなということで、ぼくは「支持しない」という立場で書くことでちょうどバランスとれるのではないかな。


※ 政権奪取や政策の一致を目指して今度の選挙後、あるいはその次の選挙後か知らないが、「政界再編がある」とかちらっと聞いたりするので、そのへんも議員さんにははっきりさせといてほしいよね。どこかの政党応援するつもりで投票したら、選挙後に勝手にべつの党に行っちゃったりされたら困るから。

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6月8日に秋葉原で起きた事件と、そのことから連想した普段考えていることをつなげて (1) [ちょこっと気になったこと、もの、人]

【川田亜子さんのことも気になりますけど今のところまだ情報がクリアになってないみたいなんで】

 この事件について、発生から連日ニュースとしてテレビで取り上げられていたのでぼくも考えたけど、一つのエントリー記事にまとめきれない気がするので、実際シリーズで書けるかどうかは分からないが、シリーズとして数回に分けて書こうかと思い、こういうタイトルにしてみた

 テレビで聞いた話に加えて、webで見つけた犯人のケータイ・サイトでの書き込みを載せたページ(検索で見つけるのにかなり時間を要した)を参考にしてみた(※1)。本当はもっと前、できれば最初からの書き込みを読みたかったがこれしか探せなかったので。(ラジオではTBS『ストリーム』のポッドキャスト(「週刊誌チェック」「コラムの花道」)で聴いたくらい)


 親の言う通りにいい子を演じ、そうすることで周りから評価されてたのに高校上がって成績下がったら親に構ってもらえなくなって、昨秋には離婚話も出て精神が不安定になり(「自殺未遂的に交通事故を引き起こしてもいる」と伝えていた番組もあった)、ふるさと離れて仕事に就いたら友達、彼女もできなくて、現状の自分が不本意で昔馴染みのふるさとの有人達にも会わず、孤独を拗らせ、今の自分にできるでっかいことといえばwebの掲示板に犯罪予告を書き込むこととテレビのワイドショーで取り上げてもらえるような凶悪事件を起こすこと。

子供の頃には親の期待に過剰適応し、大人になってからは情報化社会に過剰適応してしまった。

 そもそも日本人というのはdna的に“過剰適応な人々”なのではないだろうかと思う。ただ適応すべき状況が、時代時代、世代世代によって違っているだけのことで。江戸時代は幕藩体制に過剰適応し、明治維新では文明開化・富国強兵・天皇教などに過剰適応し、大戦争のときには軍国主義に過剰適応し、敗戦後は進駐軍・アメリカ文化・アメリカの政治などに過剰適応し、高度経済成長期には物質的(金銭的)豊かさを目指して過剰適応し、学生運動の時代には若者はその雰囲気に過剰適応し、“学歴社会”といわれた時代には皆で挙って大学受験競争に参戦し、情報化時代にはマスコミ情報・ネット情報に過剰適応してきた(※2)。
 そして我々は日々のマスコミ情報(「今これが流行ってる」「次はこれが流行りま」)に過剰適応して流行を追い掛け回している。経済の活性化のためには(為政者が新しい時代の変化に対応するため国民全体を導引していくのに利用する際にも)日本人の“新しもの好き”的な性質はいいものなのだろうが、別の側面では負の要素でもあるだろう。
 また、近頃のように政治や社会問題、事件について「これが問題だ」「あれが問題だ」、「これは大変だ」「我々はどう対処すればいいのだ」と結構ワンパターンな切り口で大量な情報を流されると、ただでさえ、dna的に不安感を覚えやすい国民なんじゃないだろうかと思わせるところのある日本人は、そんなマスコミ情報によっても益々不安感を醸成させられてしまうのではないか。
 そのほか、ノイジー(見たくも聞きたくもない)な情報は、長閑だった昔に比べて怒濤のように押し寄せてきて、人々の頭の中に飽和状態をもたらし(特にまだ頭の柔らかい子供・若者の心に)大きなストレスを与えているのじゃないだろうか。

 それで、“情報化”に“過剰適応”してしまうのがよくないと思うのは、情報化社会というものは自分にとって一番気持ちいい情報を偏って、かつ繰り返し繰り返し摂取できてしまうものだから、いろいろと“おかしな人”が出来上がってしまう(暴力性の先鋭化や極度に偏った性的嗜好等)一つの大きな原因にもなっていると思えるところだ。
 この犯人についても「『こんなのがあるんだよ』と2ちゃんねるの犯罪予告の書き込みを見せていたことがあった」という職場の同僚の話を流していた番組もあったと思うのだが、彼もそのときには「犯罪を犯そう」などとは考えてはいなかったのかもしれないが、少なくとも犯人の頭(別の言葉でいうなら「脳」とか「アンテナ」とかかな)は初めから「犯罪予告書き込み→犯罪実行」という図式に反応を示していた(興味を持った、引っかかりを覚えた)というのがあったのだろう。

 よくない点としてもう一つ思うのは“情報化”によってもたらされる“言葉によるレッテル貼り”に縛られてしまうこと。そのマイナスの自己暗示によって自らの可能性の芽を摘んでしまいかねないこと。今回の場合だと“負け組”“格差社会”“ワーキングプア”“非モテ”など。

 よくない点としてさらにいってみるならば、今は「信頼できる友達ができにくい」というのにも“情報化社会の進展”が関係してる部分もあるかもしれないと思ったり。
 昔だったらいくら自分の信頼してた人がこちらの打ち明け話を誰かにばらしたとしても、知れ渡る人の範囲は身の回りの人達レベルだったが、今だったらメールやネットをはじめ、さまざまな情報ツール、メディアで個人の手には負えないレベルにまで広がってしまう可能性があるわけだから。また、例えば裸の映像だって、昔は「私の大事なプライベートは信頼しているあなたにしか見せないんですよ」という暗黙の了解においてラブラブエッチとかしてたわけじゃないですか?それが今では写真や動画に撮られてばら撒かれたり、脅しに使われたりしてしまう時代である。


 経済がとても元気だった頃の日本人は「顔の見えない、気持ちの分からない、機械みたいに動く人々」と外国(とくに欧米)の人達から見られていたんじゃないだろうか。それから時代が下って、日本人の人間的な心の動きやあり方というものはマンガなどのサブカルチャーを通して外国に伝わって行った部分もあったんじゃないだろうか(開発途上国の人々には青年海外協力隊や民間のボランティアなどとの直接的触れ合いを通して日本人の人間的に良い部分が伝わったというのもあるだろうが)。
 日本人は伝統的に「一人の人間」である前に「場」や「システム」の一部として立派に適応してみせることに価値を見出してきた人々だったんじゃないだろうか。例えば、職場に過剰適応する場合などでは、「同僚やお客様に迷惑をかけてはいけないから自分の家族のことは二の次にしなくてはいけない(親の死に目には会えなくても自分の職責は全うしなくてはならない)といった倫理観」とかがあったと思うんだけど、それって非人間的なことだよなぁ、って思ってしまうのはぼくだけだろうか(※3)。ほかの例だと、電車などの到着時間を秒単位で気にするといったようなこともちょっと非人間的なような気がしてしまう。
 二人の子供達を家庭内に囲い込み、学校でのテストの点数や先生受けすることにターゲットを絞った厳しい教育に腐心したこの犯人の親(特に母親)は“学歴社会”というものに過剰適応していたのだろう。
 この犯人も正社員よりも優秀な、派遣社員として自動車の塗装のチェックにきちっと励み、職場に立派に適応しようとしていたようだ。それなのに、子供の頃から自分の心の支えにしてきた親の離婚話があったり、今は手元にないクルマの借金についての精神的ストレスに加えて勘違いで思い込んだのか実際そうだったのか「リストラの対象に」「作業用のツナギを隠された」ということがあって、ついにキレてしまったのだろうか。

 ところが今の日本には、立派に適応してみせるだけの価値のある確固たる「場」や「システム」といったものはもう無くなってしまって、適応できそうな器らしきものといえば「情報化社会」くらいになってしまったのかもしれない。
 でも、本当は「情報化社会」なんてもんは「立派に適応してみせるだけの価値のあるもの」なんかじゃないんだろうと思うのだが。
 「情報化社会への上手な接続と切断」といったものが、現代人に求められる大事な“生き方の技術”の一つとなっているのかもしれない。

 そんな時代の中、今日本人に必要なのは、(システムに過剰適応する“機械”ではなく)“人間であろうとすること”(※4)や“普通であろうとすること”ではないだろうか。ぼくの考える“普通”というのは「多数派でいること」というのではなく「人間として大切な基準点をキープしている人」というものであるが。
 メディアを介した情報にドップリ浸かることなく、自分の体で感ずる天然、自然の感覚を磨くこととか、あるいは、情報を沢山摂取する人の場合には、ただコンピュータのハードディスクにひたすら情報を溜め込むが如くにするのではなく、「教養を身につける」心構えでそうすることにより、“人間”であったり“普通”であり続けることができるのではないだろうかと思ったりするのだが。


【今回は「情報化」という視点で書いてみました】


※1
● 緊急メモ 「秋葉原通り魔事件」 - ukparaの思索メモ (つねに未完成)
http://d.hatena.ne.jp/ukpara/20080609
この文章を書く前に読んだのは「携帯掲示板への書き込み:6月3~8日(犯行当日)」の分。その語もデータは追加されてる模様。


※2
 「情報化に過剰適応」といっても、それは現在のパソコンや携帯電話にともなって起きたものではなくて、テレビが登場した時代からの日本人の「バカみたいにテレビ好きな国民」といったところから始まっていることのようにぼくには思えるのだが。


※3
 昔の言葉でいうなら「義理と人情の板挟み」、昔の歌の文句でいうなら「義理と人情をはかりにかけりゃ 義理が重たい男の世界」となるのかな?


※4
 日本社会を覆う“閉塞感”から(それに立ち向かうためなのか、そこから逃げ出すためだったのかは分からないが)活路を求めて、90年代後半頃からの障害者本ブーム(『五体不満足』の大ヒットを頂点とした)、沖縄ブーム、といったものも「“人間であること”を取り戻す」人々の無意識の一つの試みだったのではないかとぼくには思えたりするのだが。

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憲法9条関係 [ちょこっと気になったこと、もの、人]

 ちょっと前に『JAM THE WORLD』をチラチラ聞いてたら伊勢崎賢治という方がゲストだった。海外の紛争処理の現場で活動してる方らしい。
 “憲法9条”のことも考えているようだった。単純な“改憲論者”ではないのかなぁと。
 ウェブで調べたらこんなページがあった。↓

☆マガジン9条『この人に聞きたい』
http://www.magazine9.jp/interv/isezaki/index.html

 自分にとって、考える上で何かしら参考になるかもと載せてみた。

 番組ではゴールデンウイークに行われる憲法を考える千葉県幕張でのイベントの告知をしてたよう。↓

☆『9条世界会議』- 世界は9条を選びはじめた -
http://whynot9.jp/


【so-netブログの“共通テーマ”選択で、記事内容がイベントがらみなので“イベント”でいいかなとおもったのだが、テーマ名が“イベント2006”となってるのはなぜ? 2006年のイベントってことなのかな? そしたら2008年のイベントは?】
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倖田來未発言 [ちょこっと気になったこと、もの、人]

 何か、倖田來未さんが『オールナイトニッポン』で「高齢出産について差別的な発言をした」といった話がここ数日語られているような…。
 ぼくがこのことを知ったのは何日か前に、何かを検索してる途中に見かけた「2ちゃん」「炎上」「祭り」などをニュースソースにすることでお馴染みらしいj-castのニュース記事に出てたのを読んだのが最初で、それだけならべつに素通りする話なのだが、昨日テレ朝の『スーパーモーニング』を途中から観たとき、コメンテイターの人が「先ほどの倖田來未さんの話題もそうですが…」とかいってた気がしたのでTVのワイドショー(もしくは情報番組かな?)でもこの話題扱ったのかな?と思ったり、ラジオの俗にいわれている“社会派(?)”番組の『jam the world』(角谷浩一さんバージョン(※1))をちらちらっと聞いてたら」本日の投稿テーマ」にもなってたので、なんか話が大きくなっちゃってるんだろうかと思い、このことについて書いてみることにした。

 差し当り・発言そのものを聞いてみないと、と思い、「オールナイトニッポン 倖田來未 youtube」でgoogle検索して最初に出てきたものを聞いてみた。
 バックに『ビタースウィート・サンバ(※2)』が流れてたので、オープニングトーク(軽い話題による導入部分)なんだなぁと思った。数十秒といった感じの極短い発言だった。ぼくにはギャグっぽいコメントに思えたのだが(スタッフの笑い声も入ってたような気がしたし)。
 ぼく個人としてはこれをとくに問題にしたいとは思わないほうですね。だって現に今、この文章を書く手間隙があるならほかのことやったほうがいいと感じてるくらいだから。いうならば“重箱の隅(をつつく)”的な印象。政治家とかの発言とかいうなら話はまた別でしょうが。
 当日この放送を聞いていて、「不快に感じた」と番組にメールを送った(※3)とかいう話なら分かりますけど、ネットでの祭りに乗って批判するとか、「『ネットで批判が相次いでいる、スポーツ紙に載っている』というのをTVなどの大マスコミで知った。それで自分もいかがなものかと感じた」とかいうレベルになってくると、みんないろんなことで時間を潰したいんだろうか、とまで思えてしまうのだが。BPOにでも訴えますか?【ジョーク】

 (羊水が)「腐る」「汚れる」といった言葉自体がきつく聞こえた原因なのだろうか。
 「印象を和らげるための話の仕方の処理の問題」で考えると、アナウンサーとかを一人アシスト役で付ければ良かったんじゃないだろうかとか(※4)。
 関西のほうの人同士のかけあいスタイルなら、「腐るて!?」「腐る、汚れるってほんまですかぁ?」と話をゆっくりと展開させて行くっていうのがあると思うのだが、テンション上げて言いきっちゃうというスタイル(東京風かな?)だとねぇ…。
 それにしても、度々そんなことを言う人ならともかく、たった一言言っただけのことがこんなに大きくなるなんて、ラジオ(深夜放送)もやりにくい時代になっちゃったよねぇ。みんな「ネット時代の感性」になっちゃったのかな(※5)。

 発言を聞いたぼくの印象としては、「高齢期の妊娠・出産では染色体異常等で障害児が生まれるリスクが高まる」ということを言いたかったのではという風にも感じられたのだが(それとも単に「妊娠しにくくなる」ってこと言いたかったのかな?)。そういった話ならぼくもこれまでに聞いたことのある話である。もしそういう話だとしたら、この話を掘り下げて行くと「障害者の生存権」とか何とか、重たい話になっちゃうんじゃないかと。

 「高齢出産の女性の神経を逆撫でする、侮辱的、差別的発言」という批判なのだったら、ぼくなどは、どうだろう…?とか思ったりする。今や、晩婚化、避婚化、少子化、日本の人口減少と経済の衰退化、などといわれる時代である。「子供を生もうとするだけ偉い」っていう時代にあって、「高齢出産批判」などはおよそ力無きものじゃないのかな(※6)。

 「倖田來未が気に入らねぇ」とかいう線からの批判であるなら、こんなところから批判するのじゃなくて、もうちょっと正面寄りからの批判のほうが潔いのじゃないかと思ったりするのだが。好みは人それぞれだし。

 ま、日本のマスコミは持ち上げたり、叩いたりして数字を稼ぐのが仕事みたいなところがあるようなのでとりあえず置いとくとして。

 以下は、彼女について詳しくないぼくの、取るに足らないプチ倖田來未評。
 最近TVなどで喋ってるのを聞いていて、「なんか調子乗ってんじゃねぇの!?」とちょっと思ったり。話の内容がどうこうってんじゃなく、ただ喋り方で何となくそう感じただけのことで。なんか、「イケイケ過ぎ」とか感じたのかな?まぁ、それはただ「ぼくがちょっとそう感じた」っていうだけの話なので置いておいていい話なので。最近、プロモーションの時期だったんすかね? TVでよく観かけたような気がしたんで。今回のオールナイトもラジオちらちら聞いてて番組やってたことは知ってましたが。
 彼女って、子供の頃から歌うのが大好きで、チャンスがあるならどんな機会でも捉えて歌って行きたいとか思っている人で、近年の露出の多い衣装とか刺激的なポーズとかイケイケな雰囲気とかいった「売るための戦略」にも積極的に乗っかって行こうと決めてる人なんじゃないのかな、というぼくのプチ分析的認識があったり。

 まぁ、この文の結論としては、「めげずに頑張って下さい」みたいなことなんですけど。

 ミュウジシャンの魂は音楽だから、歌手の魂は歌に込められるものだから、「勝負は歌」「頑張りどころは歌」だと思うので、それ以外の部分で精神を消耗したりさせたりするのって誰にとっても無益なことなのではないかと思うのだが。

【ほかにいろいろ考えていることあるのになぜこれを優先して書いちゃったのかな? 単にタイミングかな?】

※1
何となーく、いい人そうな感じがする。「www.videonews.com」で神保さんが「昔からの知り合い、同級生」とか言ってたような気がするけど合ってるかな?

 ※2
 昔、パーソナリティの高崎一郎さんが初め、別の曲をテーマソングにしようとしてたのをスタッフが間違えてこの曲をかけてしまい、それがそのままオールナイトのテーマになったとか。間違いも面白いもんですね。高崎一郎さんというとぼくはテレ東の『レディース4』の司会で初めて知ったほうですが。

 ※3
 (後日、録音番組だったというのを聞いたのですが)生番組の場合は当日きた苦情メールの中で重要と思われるものにはなるべく当日オンエア内で対応したほうがいいのかもと思ったり。
 今回問題になった箇所についての指摘がもしオンエア中に届いていたとして、その番組内でそれについて「すみませんでした」とか「差別のつもりは全くなかったです」とか「事実誤認してました」とか多少なりとも謝罪、訂正、説明がなされていたら、ネット上での煽りでこんなに問題が大きくならずに済んだかもとか。
 こういうことで現代のネット社会に対応できるものなのかどうか分かりませんが。

 ※4
 ニッポン放送だから例えばアナウンサーとかで垣花さんとか。荘口さんはフリーになってるようなのでギャラが発生して使いにくいかな【ぼくが初めて彼の声を聞いたのはタモリさんのラジオで、新人アナとして紹介されてたとき】。もっと若手って誰がいるんだろう?上の世代だと、うえやなぎ(上柳)さんとか、つか(塚越)ちゃんとかいたなぁ。
 今でもオールナイトの2部に若手アナウンサーは起用されてるんだろうか。うえやなぎさんとか垣花さんとかはそのとき聞ける環境にあったのでぼくも聞いた覚えがあるのだが、アナウンサーも勉強の意味でオールナイト担当したほうがいいような気がするな。

 ※5
 70年代くらいにはPTAとかの突っ込み、抗議が強かったんだろうなと思うが。

 ※6
 「子供欲しい」と思う女の人は多いように思うのだが、同時に「なかなか、結婚したいと思えるような相手がいない」というのも多くの日本の女性の悩みのようで…。


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『おしりかじり虫』で洒落 [ちょこっと気になったこと、もの、人]

〈(おしりかじり虫ーーーー おしりかじり虫ーーーー♪)

「かじってかじって
かじってかじって
『かじって!かじって!!60分?』(※1)」

(おしりかじり虫ーーーー おしりかじり虫ーーーー)

ローマで休日 王女のおしりを
かじってみたらば ヒップ・バーーン!!」

(おしりかじり虫ーーーー おしりかじり虫ーーーー)

洗ったおしりをかじり虫
「おしりだってかじってほすいぃ~!♪」(※2)

(おしりかじり虫ーーーー おしりかじり虫ーーーー)

つめたいおしりと
かたいおしりと
へこんだおしりと
しなびたおしり
いろんなおしりがアリマンナー
「え~、かじってくんないのぉ! 超かんじ悪いんですけどぉ」〉

【ぼくは『おしりかじり虫』の歌はわりと最近NHKのラジオ(『いきいきホットライン』)で聞いて知りました。その後、『みんなのうた』で聞いたり、ETVでちらっと「おしりかじり虫クイズ」みたいなミニ番組を観かけたりしました。
 凄くヒットしたそうで、子供たちが踊ったりしてるらしいですね。
 底抜けに明るく世話好きな性格の、人々を瞬時に笑顔にしてしまうやんちゃな妖精らしいですね。かじられた人はポジティブな気持ちになるとか。人と人とをつなげる役目みたいなのがあるらしいとか。
 ぼくの感想となると、ビジュアルのことではなくて歌を聞いた印象ということになりますが、単に早回し(※3)のボーカル録音というのではなくて、ビミョーに音程がずらして録音されている感じがして、その「ちょい気持ち悪さ」がインパクトに思えたのですが。】

※1
 1970年代後半のTVのバラエティ番組『笑って!!笑って!60分?』のパロディ。

※2
 1982年、「ウォシュレット」という画期的な商品のCMキャラクター・戸川純さんのセリフ「おしりだって洗ってほしい」のパロディ。
 うちの地元では当時このCMは流れてなかったような気がするのですが(チェック不測かな?)。戸川純さんの歌は流行ってたけど。

※3
 デジタル的に処理する場合は「ピッチを上げる」って言葉になりますか。
 ボイスチェンジャーかなっとも思ってて、「wikipedia」見たら「ボイスチェンジャー使ってる」って書いてありました。
 ボイスチェンジャーってよく匿名希望の人の証言がオンエアされるときに使われたりしますよね。あと、パーティーグッズ的な使われ方とかかな?
 また、昔TBSの『ザ ベストテン』で西城秀樹さんが『眠れぬ夜』でランクインしてたとき、「この曲ではボーカルにハーモナイザーというのを使ってるんですよ」と言ってたのを聞いた記憶があったりする。
 この『おしりかじり虫』ではボーカル以外でも少しずつ転調させたり、バックの音も少しずらされているところもあるような気がして全体のアレンジとして「ちょい気持ち悪さ」が醸し出されているように感じるんだけど。


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取材証を没収・相撲協会 [ちょこっと気になったこと、もの、人]

 昨日『news23』をちらっと聞いてたら「朝青龍問題で、杉山邦博氏がテレビで協会批判をしたため相撲協会に取材証を没収された」というニュースが流れてきたので、「何それ!?」と思ってしまった。
 こういうのって「由緒正しき日本の伝統」と理解すればいいのか、それとも「改めなければならない硬直化した組織の弊害」と思ったほうがいいのか。

 〈北の湖理事長は「『朝青龍の処分を決めるのに弁護士など外部の人間をいれた方がよかった』とする他の出演者の発言に杉山さんが同調するようにうなずいた。協会批判だ」とし、「番組で相撲評論家の肩書を使っていた。取材記者でないなら取材証はいらないはず」などとして没収したとしている。〉
 〈没収の理由となった「うなずき」は8月13日のTBS系番組に出演した時のことらしいが、杉山さんは「理事長の指摘の内容は違う。『個人の権利があるから、もし弁護士がいて裁判になったらどうなるのだろう』という意見に、そういう見方もあるのか、と思っただけ。相撲評論家という肩書もテレビ局が便宜上つけたもの。私はそんな名刺も持っていない。いずれも誤解だ」としている〉
 〈記者クラブの抗議に対し、北の湖理事長は「評論家の活動を止める気はない。だが、取材記者ではないのだから取材証は発行出来ない」と話した〉
 〈杉山さんは「大相撲がよい形で存続していけばと思い、『朝青龍問題は伝承文化である大相撲の根幹を揺るがしかねない』と発言してきたが、相撲協会を批判したことは一度もない。こんなことになって残念だ」と話す〉

この「問答無用」っぷりがいいですね。高野連にも通じるような。これこそが日本の伝統かな?
 ところで、取材記者って、取材した(している)対象について論評してはいけないものだったんだろうか(よく知らないのだが)?


 〈〉内は朝日新聞の記事の引用
 読売の記事のURLは↓
www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20070911i515.htm

【個人的には特に相撲に関心があるわけではないが、朝青龍問題に関してちょっと騒ぎが大きいような気がしているので書いてみている。やっぱりみんなの頭の中には“相撲は国技”という観念があって騒ぐのかな】


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いたちごっこ [ちょこっと気になったこと、もの、人]

 「きりがないこと」の例えとして「いたちごっこ」という言葉があるようで。これは子供の遊びの一つなんだそうで。「二人で向かい合って、『いたちごっこ、ねずみごっこ』と唱えながら互いに相手の手の甲をつねりながら順に重ねていく遊び」(大辞林)。
 というのが、「yahoo辞書」をちょっと前に調べて分かったこと。

 ニュースなど報道系の番組を聞いていてこの言葉をしばしば耳にするので、ふと気になって調べてみたのである。

それにしても「いたちごっこ遊び」を今の子供たちはしているのだろうか。していないとしたらいつ頃までこの遊びはされていたのだろうか。
ちなみにぼくはこの遊びを習ったことがないので具体的なイメージが湧かないのであるが。


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